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一般社団法人読み書き配慮
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貴子さんのお嬢さんは中学受験をして私立の女子校に進学されたんですよね。
貴子さん 娘はちょうど「ゆとり世代」に当たります。小学校の授業はグループ学習ばっかりで教科書をほとんど使いませんでした。国語なら物語は劇遊び、説明文は壁新聞。理科や社会もフィールドワークばかり。教科書を読んでみんなで考えたり、音読したりというのはありませんでした。本当にのびのびした時代で、娘も特に大きな問題もなく過ごしていました。
夏野さん では、配慮も必要なかった?
貴子さん というか、ディスレクシアということに気づきませんでした。
初めて「もしかして?」と思ったのは、3年生の夏です。ほとんどの子どもたちが中学を受験する土地柄だったので、娘も当たり前のように塾の夏期講習に参加しました。毎日、楽しく授業を受けて、よくわかったと言って帰ってきていました。それなのに、最終日に受けた入塾試験を兼ねたテストで入塾最低点が取れなかったんです。
全部理解しているにも関わらず、全く点が取れていないことに愕然としました。でも、私が問題を読み上げてやらせると全部解ける。これはちょっとおかしいと思いました。それでも学校では全く困ることはありませんでした。
美保さん 漢字の練習や作文はなかったんですか? 高学年になると難しいことも増えてきそうですが。
貴子さん 先生によるのかもしれません。娘の担任は無理なことは言わず、自分ができる方法でやればいいよ、という先生で、ひたすら文字を書かせるようなことはありませんでした。漢字は苦手でしたが、学校ではテストをやらない時代だったし、他のことは理解できていたので特に問題はなかったんです。作文も、字は汚いし文字数は少なかったけれど、それについて責められることはありませんでした。
当時、歌では「世界でひとつだけの花」がすごく流行っていて、金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」というのがバーンって掲げられていました。そんな時代なので、字が書けないのも個性だと思われていたのかもしれません(笑)。
夏野さん ゆとりの時代でも中学校ではふつうに定期テストがあったでしょう?
貴子さん だから、苦労しました、急に。
中学受験をして私立の中高一貫校に行ったんですが、入学して最初の英語の宿題で、教科書を1ページ写してきなさい、というのが出たんです。中1の簡単な英語を何行か書き写すだけなんですが、2時間たっても少しもできない。
「書けない。どこから書いていいかわからない」って言うから、「最初から書くのよ」って言ったんだけれど、それがわからないんです。それで、教科書のコピーを1行ずつ切ったものをノートに置いて、その下に書き写そうとしたんだけれどそれもできなくて。結局、私が1文字ずつ手書きしたものを真横に置いて写しました。見本を見ながら、「ここから始めて右に伸ばして。次、そのあたりから下に引っ張って!」って指示して。「ここ? ここ?」、「そう、真ん中あたり。そこからまっすぐ下に引っ張って。はい、ストップ!」みたいな感じ。
美保さん わかります。英語はたいへんですよね。
貴子さん 中学に入学してからはそんな状態でした。私たちも「おかしいな」って思いながら過ごしていたんですが、2学期の個人面談で担任の先生に言われたんです。「あの、もしかしたら読み書きに何か問題があるのかと思って見ているんですけど…」
実は私も気になっていたと伝えたら、先生はほっとされたみたいで、「もしかしたらディスレクシアじゃないかと思うんです」っておっしゃってくださいました。
「学校の方でも何かできないか考えていきたいので、専門機関の検査結果など、何か根拠になるものをもってきていただけませんか」と言ってくださったので、慌てて検査機関を探して、WISCの結果を学校に提出しました。それを元に職員会議で配慮について話をしてくださったんです。1年生の12月くらいでした。
夏野さん その先生は専門の知識をお持ちだったんですか?
貴子さん 以前、ディスレクシアのお子さんを受け持ったことがあるということでした。そして、具体的な配慮は年明けから始めましょう、となったとき、先生がおっしゃったんです。「私も知識が少ないので、4月から大学院でディスレクシアについて勉強することにしました」。それで、「お嬢さんも急に配慮のことを言われてとまどっているようですから、私の勉強のためにお手伝いしてほしい、という方向にもっていきます。まずは、それでやってみませんか」と言ってくださいました。
一同 すごいですね!
貴子さん それで、「テスト用紙の紙の色はどう?」「カラーのスクリーンを重ねたらどう見える?」というふうに、いろんな色の紙にいろんなパターンで印刷してくれたり、いろんなフォントで字の形や大きさを試して、どれが見やすいか聞いてくださいました。その結果を「こういうスタイルがいいです」と言って職員会議に出してくださったんです。
そうしたら、協力的な先生が何人かいらっしゃって、数学の先生は「問題用紙の空白の取り方はどうしたらいいか、中間テストの前にレイアウトだけ見てください」と言って、仮に作った問題を本人に見せてくれました。「これだと解ける?」って聞かれて、「もう少し字が大きい方が」とか「ちょっとここに空白があるほうが」って言うと作り替えて、「今度はどう?」って聞いてくれた。そうしてできあがったものを娘だけではなく、全員に配ってくださいました。
夏野さん 他の生徒にも同じものを、ということですか。
貴子さん そうです。2種類作るのではなく、娘が見やすいと言うなら他の子もきっと見やすいだろうから、全員この形で、と言ってくださいました。社会の先生はそれまで板書だったのをプリントに変えて、「他の生徒もこちらの方がいいかもしれないから、この形式に切り替えます」と言ってプリント学習を導入してくださいました。個人のためというより、「みんなのためにも参考になります」みたいな感じで他のクラスの授業でも取り入れてくれたんです。
美保さん 先生方の理解力と機動力がすごいですね。
貴子さん もちろん協力的な先生ばかりではなかったし、評価もとても厳しくて、テストの点数が低ければ容赦なく「1」がつく。辛い思いをたくさんしました。
今でこそ大学を卒業して社会に出ていますが、振り返ると、当時は部活も満足にできずひたすら補習を受ける毎日でした。だから私は、娘が宿題で泣いて補習に苦しむ姿しか覚えていないんです。結果だけ見ると順調に思えるけれど、あの頃は先が見えず、真っ暗闇を歩いている気分でした。
貴子さん 学校の協力はある程度、得られたのですが、テストの配慮については本人がなかなか受け入れられませんでした。自分だけ特別扱いされるのは申し訳ないという気持ちが強くて、別室受験や時間延長についてはかなり抵抗があったみたいです。中学の間は「悪いのでいいです」って言ってました。
でも、高校生になって大学受験のことを考えたとき、今のまま、ふつうに受験をして受かるとは思えなかったんでしょうね。センター入試で時間延長などの配慮が始まったこともあり、まずは学校の中で試験の配慮を試してみよう、ということになりました。
美保さん 志望校はどのように決めたんですか?
貴子さん 娘は小学校低学年の頃から建築の方に進みたいという気持ちがあったんです。最初はインテリアコーディネーターになりたいって言ってたんですけど、だんだんビルとかホールとか、大きいものをつくりたくなって、小学校の3年生くらいの時には建築がやりたいって言っていました。
そのためにやっぱり大学は行っておいた方がいいよね、ということで、建築にしぼって大学を探しました。でも、あまりに成績が悪くて進級すら危ないような状況だったので、塾を探したんです。それが中3の終わり頃です。
いろんな塾を見たんですが、そのたびに「実はディスレクシアなんですが、どうしたら塾の勉強についていけるでしょうか」という話をしました。すると、「そういうお子さんはうちでは見たことがありません」とか「ちょっと対応いたしかねます」というところが多かったのですが、一校だけ、「そういうお子さんに向いているAO入試というのがありますよ」って説明をしてくれた塾があったんです。
「建築はAOで受けられる大学も多いし、建築のAOはふつうのペーパーテストがないパターンもけっこうあるので、そっちのほうから攻めたらいいんじゃないですか」
そう言われて、中3の3学期からAO入試のための勉強をスタートしました。
美保さん その頃から大学受験を意識されていたんですね。
貴子さん 娘は中高一貫校だったので高校進学のことは気にせず、中学から大学について考えられる環境にあったんですね。塾も中3の3学期だと「新高校1年生」という扱いなんです。
夏野さん 一般入試は最初から考えていなかった?
貴子さん 中3の時点で一般入試はほぼないな、って思ってました。英語がもう壊滅的だったので。「大学にはたぶん行けないだろう」って思っていたぐらいです。でも、塾で話を聞いて初めて、AOならもしかしたら大学に行けるかもしれない、って思えました。
それは本人もわかっていて、とにかくAOで受けられる中で高校の内申点が関係ないところはどこだろう、って。娘は内申が全く取れていませんでした。英語はどうしても「1」か「2」しか取れない。その状態で受けられるところは本当に少なかったです。
美保さん 受験科目はどういう形だったんですか。
貴子さん 実際に受けた大学はプレゼン、小論文、面接でした。娘にとって簡単なことではないので、そのための準備を中3から始めました。
夏野さん 受験対策は塾が中心?
貴子さん そうです。塾では建築のAOをターゲットにしたコースを選択しました。建築はデッサンが必要になるので、他の芸術系の子も一緒のクラスだったんですけど、そこでいろんなことを学びました。「自分と向き合うことがAO受験の第一歩」という考え方で、自分を掘り下げて見るところから始まったんですが、その過程ですごく成長できたように思います。
学校がない日は朝から晩まで塾にいて勉強していました。プレゼンの前には1週間、塾に缶詰になってずっと指導してもらっていたようです。ひたすら努力して頑張って、本当に密度の濃い数年でした。
夏野さん 事前の対策と努力の積み重ねですね。
貴子さん もう、それしかないとわかっていたので。本当に、そこに賭けているような受験でした。
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