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武井 私、当時、子供が読み書きに困っていた時、読み書きの検査をしてくれるところを検索して探したんです。それで、とっても申し訳ない言い方なんですけど、「読み書き相談室こころ」という地味なホームページがありまして、そこには「医療機関ではないので、診断は致しません。でもその子にあった学習の仕方を教えます」ということだけが書かれてあって。それで私、電話かけちゃったんですよね。
河野 当時、東京大学先端科学技術研究センター(以下 先端研)で、土日だけやってたんですよ。午前1組、午後2組みたいな感じにして。最初の1年はそれで良かったんですが、2年目からは、ご希望者が増えて予定が物理的に入らなくなってしまって。
菊田 ですよね。先生、本当草分けですよね。
菊田 先生がご研究に携われたきっかけをうかがいたいです。
河野 もともと私は中学高校とも、文学少年だったんですよ。もう小説しか読んでないような少年でした。それで、小説家になりたくて、早稲田大学の第一文学部に入りました。でも、「自分は小説家になりたいだけで、本当に小説を書きたいのではないんじゃないか?」と思って、1年半で早稲田大学を辞めました。
そこから、「北海道の牧場で獣医さんになるのも良いんじゃないかな」と思って。
武井 すごい!なにか、きっかけはあったんですか?
河野 もともと動物は好きでした。それで日大の獣医学科に入って、卒業して獣医になったんです。縁があって石川県の家畜の獣医として、牛豚鶏、今話題の豚コレラ、ああいうのを2年間仕事していたんです。
そんな中で「自然科学とはなんだろう?」と思い始めたんですよ。獣医の勉強している時は、非常にすっきりした世界で心地が良かったんです。ただ実際に現場に出ると、家畜は経済動物なので、農家は「これ以上お金かけて治療すると損だから、肉にする」とおっしゃるんですよ。どこかすっきりしない思いが出てきて、「自然科学とはなんだろう?」と。それで哲学を勉強しようと、金沢大学の哲学科に学士入学で入ったんです。その金沢大学の学生だった時に、社会科の教員免許も取りました。卒業にあたっては、獣医に戻る道はあったんです。ただあの頃の教員って夏休みや冬休みがいっぱいあって、その休みを利用して哲学の勉強を続けよう、と思ったんです。不純な動機ですね(笑)。
教員採用試験を受けたら、たまたま通って。ただ私は、高校の倫理社会が希望だったんですが、中学校の社会科として採用されて、しかも荒れた学校に着任しました。でもそこで、知的障害のある自閉症の子と出会ったんですよ。その子がすごく面白くて。「こんな子と一緒に過ごすのも面白いな」と。それで、特別支援学校教諭の二種免許を取りまして、知的障害の特別支援学校に異動になったんです。それが最初ですね、この道に進んだのは。
その特別支援学校の教員の時代に、AACという補助代替コミュニケーション、カードやサインとかで言語のない子どもたちにコミュニケーションを教えるという実践をやっていました。それがとても面白くて、もっと勉強したいなと思い、金沢大の修士課程は教員は現職で行けるんで、そこに入りました。1年間だけはフルで大学に行って、2年目は現場に戻って週1回程度通うっていうプログラムです。
その時に、福島智さんという盲ろうの先生が金沢大にいらっしゃいました。その頃の私は、インクルージョンの問題を考えていました。「障害のある子どももみんなと同じところで勉強すべきだ!」とか、「いや、その子にあった勉強をすべきだ!」といった説が入り乱れていたじゃないですか。どちらかというと、前者の意見が強かったんですが、どうもすっきりしなかった。それを整理したくて、福島さんにつくことになったんですよ。
武井 それは何年間ですか?
河野 2年間です。福島さんの私が最初の修士の学生なんです。
菊田 福島先生は、先端研に異動されますよね?
河野 はい。その後もメールのやり取りをしてたんですが、福島さんから「こっちで博士号を取らない?」というメールが突然来たんです。
菊田 東大で?
河野 はい。とにかく1年間週1回通えば講義と演習の単位は取れるよ、と。あとは博士論文を書ければ良いと。
菊田 金沢から通って?
河野 通ってました。大学院の入試は英語の試験と研究計画のプレゼンでした。英語はTOEICだったんですが基準点が取れたので入学できました。最初の1年間は週1回だけ、毎週水曜日に通っていました。
菊田・武井 へぇ〜!
河野 でもね、「すぐ取れるよ」は大嘘だったんです(笑)
菊田 そうだったんですか!
河野 福島さんはその頃、まだAACをやろうとおっしゃっていました。ちょうど中邑賢龍さん呼ぶからという話になって。それじゃあ中邑さんにつけば博士論文書けるな、と。
菊田 岡山から呼ばれたんですか?
河野 あの時は香川大ですね。それで私は2年目は月2回通ってました。柏に中邑研究室があったんで、そこに叱られに行ってたんですよ(笑)
武井 そうなんですか!?
河野 「これでいこうと思ってるんですけど……」と聞いたら、中邑先生は「うーん……これじゃ博士取れないよ」と。なんで俺は毎週叱られに行ってるんだろうって(笑)
でも、面白いことがあったんですよ。その頃私は、金沢大の附属特別支援学校に勤めていたんです。今でも本当に感謝するんですけど、私が東京に行くときには、非常勤の先生が私が空けた時間に入ってくださり、私の研究を学校としてサポートしてくださったんですね。
その時、国立特別支援教育総合研究所(特総研)が、調査研究の公募を出してたんです。「重複障害等教育海外調査派遣」です。それは自分で計画立てて、最長3ヶ月は行けるという内容でした。イギリスの自閉症教育の調査をテーマに応募したら採択されたんです。
武井 行かれたんですか?
河野 行きました、3ヶ月間。それで今もお世話になっているドラファンさんというAACをずっとやっている方がいて、ドラファンさんの自宅に3ヶ月お世話になり、車を借りて、いろんな学校を回ってたんです。
ここから読み書きの話になるんですが、イギリスは基本的にインクルージョン教育の国ですが、自閉症児のための特別支援学校や特別支援学級があるんです。「自閉症は単純に通常学級の中で一緒にやるのは難しい」「自閉症には特別な対応がいるんだ」という認識なんです。特別支援学校や特別支援学級で調査をした後に雑談をしていると、「日本語でディスレクシアはどうなってるの?」と必ず聞かれるんですね。英語で書かれた有名な牧田論文から「1%ぐらい」と知られていたんですが、「なんでそんな少ないんだ?」みたいな話になるんですよ。そこで私は「ああ、みんな関心あるんだ」と思って、「そっちに博士論文のテーマを変えよう!」と突然思ったんですよ。
菊田・武井 (笑)
河野 それが読み書き障害の研究につながっていきます。
菊田 それが、おいくつぐらいの時ですか?
河野 48歳ぐらいですかね。その頃にイギリスに行ってるんで。それで先行研究を調べていくと、読みの研究はあるけど、書きの方は全然ないんですよ。「これはチャンス!」と思って、書きをやることにしたんですね。
武井 第一人者ですものね。
河野 本当に誰もやってなかったんですよ。それで、中邑さんのところに行ったら、「それは面白いんじゃない」と初めてゴーサインが出て。
菊田 それは何年ぐらいですか?
河野 2006年ぐらいの話ですね。
菊田 13年ぐらい前ですね。
河野 はい。それで海外の書字研究を調べていきました。まずは書字速度の標準値がないと話にならないので、小学生の書字速度の標準値を取りました。教育相談の仕事をやっていたからいろんな小学校の先生は知っていました。そのつてを頼って20校ぐらいに調査依頼をしました。「20校ぐらいで3分の1残れば良いな」と思ってたら、15校からOKが出ました。その15校から1年生から6年生まで全部の学級の調査をやっていいと言われたんですよ。
課題、視写用用紙をそれぞれの学校の子どもの数だけ作ってそれを届けて、各学校で実施したもらった後でデータを引き取りに行き、視写用用紙に書き写された文字数を数えて、エクセルに打ち込んで……5千人分のデータを作ったんですよ。
菊田・武井 すごーい!
河野 これは自慢なんですよ。5千人のデータを1人で集めて処理したというのは。
菊田 まさに研究ですよね。
河野 あの頃は過集中だったんでしょうね、土日しか研究作業がやれなかったので、朝から作業を始めたら、気がつくと暗くなってたりとか。
それを元に、査読論文を書きはじめて、それが3本通った段階で、じゃあそろそろ博士論文を書くかとなって。結果的に3年半で博士論文が取れました。
武井 壮大なストーリーを聞いているようで、すごいです!
河野 私の人生はころころと変わっているので、私の経歴を知っている人は、「まだ大学の先生やってるの?」と言いますね(笑)
武井 ICTとの出会いは?
河野 ICTという発想はその当時の学校には無いんですよね。私自身は、AACの実践をしていた頃から関心が非常に強かったので抵抗感はありませんでした。それと、治らないものを練習させてもしょうがない、というのが元にあります。そのへんは、中邑さんとディスカッションしていましたから、「そこは補えばいいんじゃないか」という話にはなってましたね。そこは一致していました。ICT支援を広めるようなところを作ろう、というので「こころ」を実験的にやろうか、となったんです。
菊田 それがDO-ITにつながっていくんですか?
河野 DO-ITは最初、読み書き障害支援も高校生にやっていたのですが、読み書きの困難への支援は高校生からでは「遅い」と。なので小学生からやろうという話になって、それが第一期なんですよ。
菊田 その第一期は何年ですか?
河野 2011年ですね。
菊田 私とか武井さんのところは2013年になるんですね。
菊田 本当に助けられましたね。「この子をどうやって育てたら良いんだろう?」と私達は思ってて。知的好奇心だけで生きているような子供たちなのに、読み書きが出来ないって……それを満足させてあげるにはどうしたら良いんだろう、と。暗闇の中を手探りで探していたら、DO-ITに行き着いたんです。「ここしかない!」と思って、全力ですがって求めていきましたよね。
武井 こういうことを研究してくださっている先生がいたというのが、ものすごくありがたかったですね。
菊田 最初の診断が出た時に、「読み書きができないお子さんたちは、ほとんど海外に出る」と言われたんです。じゃあ海外を視野に、と思って育ててきたけども、そんなに簡単に行けるもんじゃないですよね。
河野 必ず海外で成功するわけでもないですしね。
菊田 そう。そもそも、心が折れて、海外に逃げるというのが、本当に可哀想だと思って。日本人として生まれたし、日本の国で育つのだったら、日本の教育を受けさせたいと思ったんです。それで本当にすがっていきましたよね、DO-ITに。
河野 あの頃のDO-ITでは、保護者支援もあったんですよ。だから保護者だけの会とかにしてて。
武井 最初の夏のプログラムで、先生の部屋に集まって、保護者だけで子供の法律的なことから、親の関わり方というのをレクチャーしていただいたのはよく覚えています。
河野 その前は、個別での話もしていました。一対一で。
武井 親と子供の関わり方というのはすごい課題があると思うし、でも、ある程度教えていただきたい部分もあるし……
菊田 「学び合い」というのが私はすごい必要だなと思っています。2013年のDO-ITジュニアスカラーには、全国からたった7人だけ集まることができて。7人とも仲が良くて、常に連絡を取り合っています。「あーだった、こーだった、今こうやってる、ああやってる」という事を交換しながら来たんですね。それがいい効果を生んできたな、という実感が私たち2013年のグループにはあります。だから、2013年のジュニアスカラーのグループが核となって、だから「読み書き配慮」を始めた、というところがあるんですよ。保護者同士の交流は、すごい私たちには心強いものです。
河野 セルフヘルプ・グループですね。
菊田 そうです。まさに自助グループね。
武井 でもそういうきっかけを作ってくださったのは、DO-ITだったので、本当に感謝しかないです。
菊田 本当にそうです。
河野 私はそういうつもりは全くなくて。面白いと思うことだけをやっていて。自分の中で関心があることしかやってないんですよ(笑)
菊田 面白がってくださる、というのが私達には救いだったんです。本人たちは、何かがものすごくできて、何かがものすごくできないわけだから、すっごい面白い子だと思ってたんです。けども、それを面白がってくださる方は世間にはあまりいなくて。「かわいそうだね……」と言ってくださる方は一杯いらっしゃったんだけども。だから、面白がってくださる方は本当にありがたかったです。
河野 福井にある平谷こども発達クリニックという病院がありまして、私はそこに月1回だけ行って、iPadを使うブリキッみたいなことをしているんですよ。
武井 そのホームページ見ました。
河野 そのホームページに載ってますよ、支援グループって。月1回土曜日の午後ですね。その元のブリキッ(ハイブリッドキッズアカデミー)をはじめたのが私と平林なのです。
菊田 ブリキッの平林ルミ先生ですね。河野先生の研究室にいらっしゃったんですか?
河野 平林とは長い縁でして、彼女は金沢大出身なんですが、学部生の時から知ってるんですよ。
菊田 え、そうなんですか?
河野 彼女は先端研に来て、博士号取って、なぜか私の書字研究を引き継いで。そして、一緒に「読み書き相談室こころ」を立ち上げたんです。
菊田 そうなんですね。不思議なご縁ですね。
河野 ブリキッは最初、汐留にあるビルの部屋でやったんです。
菊田 汐留に行きたかったんですが、うちの子は聴覚過敏で電車に乗れなくて……
河野 ああ、そうだったんですか。福井の方に話を戻すと、ベーシックグループという初めてのグループと、1年やったあと、もうちょっとやりたいという方のアドバンスと、さらにもうちょっとやりたいアドバンスプラスという3つのグループがあります。それらを、私とその平谷クリニックのSTがやってるんです。
菊田 そういうのを求めている方はいますよね。
河野 ただ、平谷こども発達クリニックの患者さんにならないといけないんですよ。
菊田 ああ、まずは診ていただいて。
河野 はい。でも、なかには私のグループに入りたいためだけに、患者さんになられて、1年終わったら、去っていかれた方もいます。
菊田 それはやはり藁をもすがる思いですよね。
武井 なかなか無いですからね、検査とか。そもそも先生がいない。
菊田 そう、診断してくださる先生がいらっしゃらない。
河野 石川県ですと、私は金沢医科大の小児科の先生と連携が取れています。私のところに来られて、診断が欲しい方はその先生に紹介状を書くんです。逆に、金沢医科大では検査が出来ないらしくて、私の方に紹介されるんですよ。
武井 診断書が求められるんですよね、受験の時とか。やっぱり診断は「いらない」というわけにはいかない。
菊田 話を戻しますが、この「検査」というのが重要で、必ずしも診断書ではなくとも、この検査が根拠になりますね。
…続きは、2月10日公開予定です。
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