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一般社団法人読み書き配慮
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菊田:今日はTRPG (テーブル・ロール・プレイング・ゲーム)で子供たちを熱狂させる加藤浩平さんをゲストにお招きしました。KIKUTAではプログラムの最初にTRPGを組み込み、子どもたちをまさに熱狂の渦に巻き込んでもらっています。TRPGは加藤さんの研究テーマの1つでもあります。なぜ配慮要請の力を養うKIKUTAのプログラムに、ゲームのTRPGを組み込んでいるのか。なぜ加藤さんは研究の舞台にTRPGを選んだのか。今日はTRPGの奥深い狙いと効果と魅力について存分に語っていただきたいと思います。
それではまず、加藤さんのご紹介をしましょう。あるときは編集者、あるときはゲームマスター、あるときは研究者、そしてはたまたある時は……?(笑) 加藤さんご自身から現在のお立場、お仕事内容を教えてください。
加藤:その「立場」と言うのが、ものすごくフワフワしている人間でして(笑)。
まず金子書房という専門書出版社で編集者をしております。また金子書房内の金子総合研究所という部門の所長をしております。そして会社外の活動ですと、東京学芸大学で研究員と非常勤講師をしております。それから、サンデープロジェクト(略称サンプロ)という、子どもたちの余暇活動を実践する場の代表もしていて……。そういう感じで、二足、三足、四足?くらいの草鞋を履いて生きております (笑)。
菊田:お忙しい中、KIKUTAのTRPGのゲームマスターも務めていただき、ありがとうございます。
加藤:そうですね。KIKUTAのような多様なお子さんたちが集まる場に呼んで頂いて、出前のTRPGもやっています。最近は「通りすがりのTRPGおじさん」を自称しています(笑)。
菊田:TRPGって、子どもたちが本当にものすごく楽しむんですよね。笑い転げて。「うちの子は学校で座っていられない」って親御さんがおっしゃるお子さんたちが、最後まで座っていますもんね。座っていることを忘れてしまうくらい楽しい。
加藤:子どもが座っていることを忘れてしまう、そこ注目していただいて嬉しい限りです。
菊田:このあと、加藤さんにはTRPGについて詳しくお伺いしますけれども、私がどうしてTRPGを推しているかも、ちょっとお話したいと思います。
知的に高い子ども達にとって、SST(ソーシャルスキル・トレーニング)というのは、何というか作られ過ぎているあまりに、子どもたちが真剣に取り組めなくて、効果がイマイチ…という面があると保護者として感じてきました。それに対して、TRPGというのは、SSTではないのに、SSTのような効果がある。テーブル上の仮想空間の中で、キャラクターになりきることによって、必要なコミュニケーションや表現力、そして協調性のようなものを、自然に培っていけて、しかも心底、子どもたちが楽しんでいるというところがすごく魅力だと思うんです。
私たちは、KIKUTAの中で”配慮要請をする力”を育てていくんですけれども、配慮要請をする力っていうのは、つまり「コミュニケーション力」なんですよね。もともとコミュニケーション力が高くない子どもたちにその力をつけていくには、TRPGはすごくいい素材だなと思っています。それで、KIKUTAの中では、加藤さんにTRPGをお願いしているというわけなんです。
私は毎回思うんですけど、子どもたちを熱狂の渦に巻き込んでいく加藤さんのTRPGマスターとしてのキャラって圧巻ですよね(笑)。今日はそのキャラを作り上げているものを探ってみたいので、ちょっとここまでの半生を振り返って聞かせていただきましょうか(笑)。
学生時代はどんな学生でした?
加藤:学生時代は、KIKUTAからほど近い早稲田大学の教育学部にいました。教育学部でしたが、教育については極めて勉強“不”熱心な学生でして、授業もサボりがちで、大学に行かずに映画館とか寄席と歌舞伎座とかに通い詰めていました。あと、サークルは落研(落語研究会)に入っていたんですが、私の頃の落研っていうのが、ほとんど落語の話をしない集団でして。
菊田:落語じゃなくて、何の話をするんですか?
加藤:私のいた世代に特殊な先輩後輩が揃ってただけだと思うんですが、みんなで飲んでいると唐突に「おい、歴代天皇の中で一番不幸なのは誰だろうな?」っておもむろに先輩が言う。不謹慎かつ不敬極まりないですが(苦笑)…で、その場の面子の中に2人ぐらい神武天皇から今上天皇までソラで言える奴がいて。それでいろいろ議論(?)が交わされて、最後は「やっぱり安徳天皇かな」みたいな…結局不謹慎ですねぇ。
また、ある時は突然、獅子文六の作品論やら吉田健一の作品についての論議が始まったりしたこともありました。それから、ジェスチャーで「これは誰の何の作品か?」を当てる文豪作品クイズみたいなことを吞みながらやったり。あと映画の話も多かった。黒澤映画、小津映画、成瀬映画、他にも70年代のピンク映画や東映やくざ映画の話にもなったり……本や映画、歴史の話を飲みながらひたすらする、しかもその合間にふざけたネタも入れてきて、それに他のメンバーがすかさずツッコミを入れて……というグループでした。そういえば、サークルに入って最初に先輩に勧められた本が論理学の本と歴史学の本でした。今更ながら、本当に落研だったんだろうか?(笑)。
※獅子文六=昭和期の文豪・演出家。
※吉田健一=昭和期の文芸評論家・英文学翻訳家・小説家。父は吉田茂。
菊田:それって、つまり「教養」ですよね。
加藤:そうとも言えるかも…しれないですかね?(笑) 喋くっている自分たちからすると「教養」なんてそんな高尚な言葉で言われると恥ずかしくなるみたいな感じですが。
菊田:でもきっとそれは教養を分かち合える仲間、共感できる仲間だったんだと思います。
人生って、知性を分かち合えて交流できる仲間に出会えるって、すごく大事なことかなと思うんですよねえ。
加藤:大学時代にそういった場があることは貴重だと思いますね。ただ、その場に楽しく入り浸っていたために危うく落第しかけました。詳しく話しますと、一緒に飲んでいた先輩が、僕が2年生のときは3年生で、3年生の時は4年生だったんですけど(当たり前ですが)、僕が4年生になったとき、その先輩は何事もなく5年生になっていた(笑)。「おや?おかしいぞ。大学って5年制だったっけ?」(笑)。
で、その年度初め、これから科目履修をするっていう時に、その先輩が部室にすっごい笑顔でやってきたんです。後輩たちが「先輩、どうしたんですか?」って聞いたら、その先輩が「おい、俺はまだまだ学び放題だ!!」ってのたまった(笑)。それを聞いて、「あ、これは本当にヤバい」と思って、慌てて帰宅して自分の残り単位数を数えたら、フルで授業を取ればギリギリ卒業できるってことが分かったんです。そこから一気に地獄のような4年生、“4年目の悪夢の1年間”を過ごして、それで何とか卒業しました。
菊田:4年で卒業しちゃったんですね。(笑)。
加藤:4年で卒業しちゃったんですよ(笑) 早稲田出身の有名人はみんな中退しているのに。もう少し辛抱して留年・中退すれば良かった…のかな?(笑)。なお、その先輩は7年間「在留」して中退されました。「学び放題」だったと思います(笑)。
菊田:それで、大学を卒業して、金子書房に入社?
加藤:いえ、最初はある大手の印刷会社に入社しましたが、元々本が好きなこともあり、出版社にも関心がそれなりにありました。そしてある時、新聞広告で金子書房が編集者の募集をしているのを母親が見つけて、「受けてみたら?」と言われまして。それなら受けてみようかな…と。そんな訳で入社しました。何だか転職も周囲に流され、成り行きというかその時の流れというか…あまり立派な理由がなくてすみません(笑)。
菊田:金子書房さんは、どの分野が得意な出版社なんですか?
加藤:金子書房は主に心理学と教育学を扱っている専門書の出版社です。創業が1947年ですので老舗の出版社になると思います。そんな歴史ある出版社なのに、入社した私は教育の「き」の字も分からぬスッカラカンで、大学時代に真面目に勉強しなかったのがアダになりました。教育学部出身なのに、心理・教育の超基本的な用語も知らなくて、当時の上司に呆れられた記憶があります。
菊田:それでも編集者としてお仕事される中で、知らないわけにはいかないわけだから、学ばれていったということですか?
加藤:そうですねぇ…でもしばらくは目の前の仕事をこなすのに精一杯でしたし、必要最低限のことを覚えるぐらいで、正直なところ勉強熱心ではなかったです。
菊田:それがなぜ、発達障害研究の分野へ進むことに?
加藤:きっかけだったのは、金子書房が創業した時から刊行されていた雑誌『児童心理』(現在は休刊)の編集を担当していたことでしょうか。ある時、その『児童心理』の中で、発達障害・特別支援教育の特集を組んだんです。特集名は『LD、ADHD、自閉症、アスペルガー症候群 「気がかりな子」の理解と援助』というものでした(2004年6月号臨時増刊)。別に僕が企画した訳ではなく、担当のローテーションで、たまたまその特集号を担当したんですが、そうしたらその特集号が物凄く売れたんです。ちょうど2005年に「発達障害支援法」が施行される、その直前で、まだ発達障害の関連図書も現在ほど出版されていない時期でしたので、タイミングも良かったのだと思います。雑誌は基本的に増刷しないのですが、この号だけは珍しく増刷しようかという話が出るくらい売れました。
それで、雑誌が売れたこと自体は喜んでいたんですけど……同時に僕の中には何か引っかかるものがありました。「どうして『障害児教育』という、一見マイナーなテーマを扱った特集号がこんなに売れたんだろうか?」と。昔の僕に「少し調べりゃわかるだろ!」とツッコミを入れたいですが(笑)。
で、不勉強な当時の僕は疑問を抱えたまま(碌に調べもせずに)、『児童心理』の編集委員(編集代表)をされていた、真仁田昭先生(当時、筑波大学名誉教授・目白大学副学長)に「あの特集、なんであんなに売れたんですかねぇ?」と尋ねたんです。そしたら、「そんなに不思議に思うなら、特集の巻頭を書いてくれた『石井君』に話を聞いてくるといい」って言われたんですよ。その「石井君」というのが、日本自閉症協会会長(当時)の石井哲夫先生だったんですね。
今考えると、本当に無礼千万な話なんですが、日本自閉症協会の会長をされている方に「何であんなに売れたんでしょう?」とわざわざ聞きに行った。若造の編集者にしても失礼の度が過ぎます。
でも、石井先生は優しい方で、「加藤さん、そんなに興味あるんだったら、親の会を見学してみたらどうですか?」とか、「通級の先生方の勉強会に顔を出してみると良いですよ」とか、「うちの福祉施設を見学してみますか?」という感じで、いくつかの「現場」を紹介してくださったんです。そこからです、発達障害の世界に足を踏み入れるようになったのは。
菊田:でも、そこで見学に行っても、興味が湧かないかもしれないじゃないですか。それを掘り下げようと思ったのは、どうしてなんですか。
加藤:うーん……どうしてなんでしょう? (笑)。とある専門家からは「いま、発達障害がブームだから来たんでしょ」と言われたり、ある会の場では「もう少し勉強してから来てください!」と叱られたこともあります。「あなたが、これから10年間この分野に真面目に関わり続けるんだったら、私はあなたを認めます」と、自閉症のお子さんを持つ年配のお母さんに言われたこともあります。
菊田:そんなにけちょんけちょんに言われても引き下がらなかった。理由は何ですか。
加藤:豆腐メンタルなので、けちょんけちょんに言われるとすぐ傷ついてしばらく凹むんですけどね(笑)。ただ傷つき凹む一方で、何だか反撃したい(?)気持ちもあって。落研時代も「面白くねぇ。下手くそ」と言われて凹みながらも「何とかして笑わせてやりたい」と思って高座には出続けていました。最後まで落語は下手なままでしたが(笑)。なので、この発達障害に関しても「だったら関わり続けてやろうじゃないか」みたいな思いがムクムクと出てきて。で、気づいたらどんどんのめり込んでいきました。
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【予告】
次回は、5月1日公開です。
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