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あるよセレクト
2020.12.23
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#31 【応援】父から君たちへ

私は山口県宇部市というところで開業医をしています。患者さんが私の診療所に来たら話を聞いて診察し、お薬を出したり、点滴をしたりします。自動車を運転して、患者さんの自宅に行って、治療することもあります。

 

医学部に入って医師になることは、とても難しい事なので、「子どもの頃から勉強には苦労したことはないでしょう?」と思われているようなのですが、実はそうではありません。世の中の大部分の人と同じように勉強が苦手で、苦しいと思ったことは多くあります。苦手だったときの方が長いかもしれませんね。

今にして思うと私には「書字障害」があります。臨床心理士をしている奥さんからも言われます。それでも幸運が積み重なってこじらせずに、ここまで生き延びてきました。

 

私は1969年の生まれです。アポロが月に行った年ですね。父親が読書好きだったので、小さい頃からまわりに本があふれていたり、父親と兄がニュースを見ながら話し合っているのを聞いて育ったりしたためか、本を読んだり、人の話を聞いたりする事は好きでした。

他の人に比べて特別自分の頭が悪いと思ったことはありませんが、字を書くことだけは小さい頃から苦手でした。

よく、「ミミズが這(は)ったような字」と言われましたが、字の大きさはバラバラで、書いていると字が右に左にずれて行き、まっすぐに書くことが出来ません。左右が逆の字を書いたり、辞書にも載っていない字を作ってしまったりしていました。

困った両親に連れられて毎週土曜日に習字教室に通いましたが、それでも汚い字は直らない。漢字の書き取りに疲れてしまう。授業中に黒板の字を書き写すとそれだけで終わってしまい、内容が頭に入らない…。いろいろ苦労しました。

 

上手に書けないので人の何倍も時間がかかります。汚い字で書くと宿題を提出した後でやり直しになり、書いたものを全部消しゴムで消して書き直しがありました。

夜中まで漢字の書き取りをするのが苦痛で、開き直ってやっていかないと廊下にバケツを持って立たされる、先生から頭にげんこつされる日々でした(実話)。

そんなわけで、書き取りに使う時間は他の人に比べて少ないわけではなく、むしろ多い方でした。決して努力不足ではなかったのだと思います。しかし努力しても努力しても良い結果が出なければ人はやがて努力を止めてしまいます。

小学校高学年からはノートをとることを諦め、授業に集中して、その授業を楽しみ、その場で読んだり聞いたりして、理解して覚えるようになりました。(反抗的な私に担任の先生も板書を諦めてくれたのでしょう)

中学受験はせず、地元の公立中学に進学しました。定期考査で良い点を取るには授業中にちゃんと板書をして、それを試験直前に見直し、試験の時に正しい解答を答案に書くことが必要です。

当然、板書が出来ない私の成績は急降下しました。1学年140人ほどいた同級生の中で120番あたりをいったりきたりしていました。

「きれいな字が書きたい」そう思った私は、当時流行していたボールペン習字、「日ペンの美子ちゃん」をやろうと思って、学校の先生をしていた親戚の伯母に相談しました。

応援してくれると思っていた伯母からの思いがけない言葉。

「男子の字がきれいになっても女子にもてないよ。女子は字がきれいな方がいいけどね。いまからはタイピングが大事になるから、目をつぶってワープロを打てるように練習しなさい。」と、今から思うと超合理的な(そして現代ならばとても差別的な)助言を受け、気分が楽になり、結局ペン習字はやらずじまいでした。

その後、世の中は急速に電子化が進み、パソコンのキーボード入力がとても大事なっていきましたから、伯母には先見の明があったのかと思います。

 

英語についても書字障害は意外に多いと言われており、綴りの正確な順番が分からなくなってしまう人も多いようです。ちなみに私はいまだにTuesday(火曜日)とThursday(木曜日)の正確な綴りが分からなくなってしまうことがあります。

 

さて、皆さんは将来何をしたいですか?どんな職業についてみたいですか?

見たことも聞いたこともないような職業に就きたいという人はいないでしょう。

江戸時代の子どもで「宇宙飛行士になりたい」と思った人はいないでしょうし、昭和の時代に「ユーチューバーになりたい」という人は一人もいなかったでしょう。

やはりまわりにお手本になる人がいて、「そんな風になりたい」と思うのが職業選択のきっかけだと思います。

私が小学生の頃、毎日学校の先生に接していたので、学校の先生になりたいと思っていました。だけど、黒板に字を書くとバランス良くまっすぐに書けない人が学校の先生になるわけにもいきません。高校生の頃には学校の先生になることは、ほぼ諦めていました。

医師になろうと思ったのは高校生2年生の時です。当時、医学部に通っていた兄から「医者は汚い字でもやっていける」という助言があり、それで医学部に行くことにしました。(医師志望の最初の動機は案外そんなもんですね。)

幸いにして読字障害はなかったので、マークシート方式のセンター試験で点数を稼ぎ、2次試験は数学と物理だけで受験できる大学を選んで受験に成功しました。

マークシート方式では、回答用紙の正解を塗りつぶすだけで、字はほとんど書かなくて良いので私でも大丈夫でした。

大学に入り、パソコンのローマ字入力を覚えてからはペンを持つよりもキーボードを操作するときに、思考が整理されるようになりました。

その頃はコピー機もコンビニで手軽に使えるようになったので、板書が得意な友達に複写させてもらって、試験を乗り切って医師になりました。

ちなみに医師国家試験もマークシート方式だったので私でも大丈夫でした。

 

少しだけ困ったのは医師になったあとです。医学部を卒業した後は数年間の修行期間を大学病院やそれ以外の大病院で過ごすのですが、当時はまだ紙のカルテに手書きでした。

私だけでなく、字の汚い医師が多く、指導医の字が読めなくて困ることも少なくありませんでしたが、看護スタッフは慣れているのかスイスイと読みこなしています。

診察や処置はあまり困りませんでしたが、とにかく紙カルテには困りました。そこで、カルテをワープロで作成し、それをカルテ用紙に印刷・署名という、とても手間のかかる作業をやってしのいだことを覚えています。周囲からもその方が読みやすいと好評でした。

私が開業したきっかけの一つは電子カルテにして字をあまり書かずに済ませたいとの気持ちもありましたね。

今では新しい病院のほとんどが電子カルテなのでとても助かっています。

 

ただ、死亡診断書だけは、なんとなく手書きでないといけないような気がしていて、今でも丁寧に時間をかけて手書きにしています。が、とても精神的な負荷と時間がかかりますね。(本当は電子カルテから印刷出来るのですが…)

ただ、汚い字でも丁寧に書いたことが分かってもらえるのか、はたまたその場の雰囲気なのか、これまで御遺族からクレームはありません。

 

時には努力も必要でしょうし、難行苦行に耐えることも必要かもしれません。しかし、基本的には「工夫」することで、自分が思い描くような世界に近づいていくことができると思います。

「自分」という人は過去の歴史上、一人しかいません。自分にあった工夫を探す、試行錯誤してみる、素直に人のアドバイスを試してみることが充実した人生を送るコツなのではないかと思います。

 

まだまだ私の試行錯誤は続きます。皆さんが豊かな人生を送ることが出来るよう祈りつつ、筆を置きます。

 

波乗りクリニック院長 小早川節

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